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仕事に行きたくない。正直辞めたいとお考えのあなたへ

仕事に行きたくないというのは、意外に普通に起こるものです。とくに、週末に楽しいことだらけだったときや、連休が長く続いたときなどは、重役であっても仕事に行くのが憂鬱な気分に思います。

これはある意味学校に行きたくないというのと同じ次元のものといえます。それでも大きく異なるとしたならば、自分で何とかならないか、解決できるかの違いがあることです。

子供は感情がコントロール出来ない故に、そう感じるのですから解決の方法がありません。

しかし、大人であれば「行きたくない」気持ちの前に何がそうさせるのかの原因を考えることができます。また、学生時代のそれと異なるもので、一生に近いくらいその時間が続くのかどうかという違いもあります。

いずれにしても、まずは諦めないで、解決できる方法を考えましょう。

我慢しながら、毎週毎週行きたくない症候群にかられてしまう場合、今からご紹介するものだけはやってみるといいかもしれません。

解決するためのアドバイス、六箇条で、今のあなたを取り巻く環境を分析し、改善してみてください。

①行きたくないなら行かない

やりたくない、したくないと言うのは一番の元があるものです。

人付き合いが苦手で接触する度にストレスとなり段々我慢の限界になってしまった。またあの嫌な人と話すのか、またあの煩わしい客達と会話するのかを想像するだけで体がだるくなる、仕事に行くのがためらわれる。

あるいは、楽しさを共有出来ない。

みな活き活きと仕事をして、笑顔も絶えない。休憩中も楽しそうなのをみるけれど、何がそんなに心を引きつけるのかわからない。

楽しさの輪に入れない疎外された感覚に苛まれてしまい仕事に行く気になれなくなってきた。さらには、やりがいが見つけられないなども考えられます。

仕事に対する情熱は、その仕事の魅力を感じたときにでるものですが、それが見いだせずに毎日作業のようにこなすだけになってきてしまった。

そろそろそれも飽きてきて、耐えるだけの毎日になってしまったなどでしょう。

これを解決するには、簡単なことで距離をおくしかないのです。そもそも、自分の意志が成長していないのに仕事に取り組むことが無理なのです。

皆と同じように就職活動の流れに載せられてしまった弊害ともいえます。わかりやすく例えれば果物の収穫です。

同じ時期に植えたり、同じ株から生えているものであっても、まだ、青いものもあれば熟している物、さまざまです。

同じ時期に卒業しても、同じように注目できる着眼点を持った人も入ればそのものに関心を示せない人もいます。

まして、思うように仕事がはかどらない人もおおいことでしょう。人付き合いに至っては出来ない人も多いのは当然です。成長の遅さは恥ずべきことではありません。それは個性です。

むしろ、画一的にベルトコンベアーのように世に送り出して、同じように展開させようというシステムにこそ問題があるのです。

だからこそ、その仕事にはまだ気持ちが入りきらないと言うことで距離をおくしかないのです。休職か退職の道を選んで自分の成長を見守るしかありません。

②「休職」「退職」は気が引ける場合

行きたくはないけれど辞めるわけには行かないし、休んだら仕事場が大変になる。あるいは、自分の勝手と非難されて益々行きづらくなる。

このように感じている人は実は責任感が強いのです。

自分を応援してくれてる人への思いやり、また、自分が生活していくための手段の喪失への恐怖といった自分を取り巻く環境に冷静に判断できる。

これは 成長の度合いから言えば相手に対する思いやりがあるのですから進歩しているのです。この場合は仕事の内容、今従事している位置を変えてもらうように上司に訴えるのが大事です。

その場合、何故やれないのかを明確に伝えなければなりません。わがままや、自分勝手と人はいうからです。

いきなり上司に嘆願しても、そのように言われますから、先ずはうまくこなしている同僚を、探し自分の気持ちを伝えるのです。

さんざん苦労して成功して行っている先輩でもいいでしょう。そういう人のアドバイスは貴重でうまい立ち回りかたを教えてくれるものです。

人はそもそも苦しんでいるのは見たくないものですし、そういう人がいるだけで会社の利益には成らないとさえ考えるものです。

ズバリ解決方法をおしえて実行させれぼその人の株もあがり、会社もの業績もあがるというわけです。

そして、その時に、とても重要なポイントがあります。それは、意見を「素直」にきくことです。

この素直さが欠けてしまっているとアドバイスの意味が無くなるのです。

言われたことを、やってみてダメならばまたきけばいいだけなのですが、もともと、仕事に行きたくないと思うと気持ちの持ち主ですから、自分をガードするためにアドバイスを排除しようとします。

やる前から否定的な、立場をとって実践させまいとするものです。 つまり二つ目は自分を少し進ませる、成長させることなのですが、成長の妨げとなっているのが「素直さ」のなさなのです。

幼い子供がどんどん成長するのは素直だからです。幼稚園児がいちいち文句をいって先生を困らせているということはありません。

小学生の運動会でガミガミ先生が指導している中で生徒が嫌気をさしてボイコットして運動会を成功させたという話を聞いたこともありません。

甲子園に行くと決めた球児が全く監督のアドバイスを聞かないで出場したという話もいまだかつてみたこともありません。

これら全ては今の自分の、成長に欠かすことのできないものだからです。

もしそれでも、人の意見に、抵抗があるのならば、成功すればラッキーぐらいに思う程度に軽く考えた方がいいでしょう。

③今の仕事内容から違う価値を見いだす

世の中には仕事はたくさんあります。それは、作業という側面からみた、職種です。専門職はその専門の職種のための学校があり、資格があります。

確固たる資格がなくとも、その為の有識は必要で長けた人が従事出来るという点はどの職種にもあてはまります。

ですが、仕事という表の面は一つしかありません。その従事する職種を通して、困っている人を助けて喜んでもらうという部分です。

農家であれば、広大な土地を耕し、培った知識のベストシーズンに種まきをし、余分な雑草をかり、害虫を駆除し作物を育てる。

そして新鮮で美味しい野菜を消費者の手元に届けてくれる。

私達の出来ないことを変わりにやってくれて、食べなければ生きていけない私達の体の栄養不足を解消してくれる。

これで私達も喜ぶという単純な流れがそこにはあります。

どの職種もそれがあります。漁業にしかり、医者にしかり、映画監督、弁護士、教師みなそうです。しかし、仕事に行きたくないというケースがとりだたされたとき、その「喜ぶ」という部分が全く見えてこないということがあります。

例えば、飲食でいうところの洗い場です。あけてもくれても雑用に近い洗い場。給仕や調理ならばお客さんとの会話もあることですし、直接的に携わっている感覚があるでしょう。

見た目にもかわいらしい制服やいかにも凛々しく見えるコックの制服はそれだけでもスタイリッシュに見えるものです。

一方洗い場といえば魚屋で使われるような大きなゴム製の前掛けに、いつの間にか洗い物の水が入り込んでジャブジャブいいはじめた長靴。

全く別世界のものがそこにあります。裏方ですから仕方が無いといっても「喜ばれる」という感謝の面は存在しないようにみえます。

しかし、もしそこで中途半端な洗い方をして汚れが残った皿をだしたらどうなるでしょう?提供したい料理にあったお皿がまだ洗い終わらないでいたらどうでしょう?

調理場から怒られるだけです。それは、料理長や支配人が怒るのではありません。提供される側のお客が怒っているのです。

この視点の切り替えが実は誰もが出来るようで出来ない部分なのです。直接たずさわっているか間接的に携わっているかは大きな差ではあります。

それゆえに管理監督する上の立場の人はそういう人たちを大いに大切にしなければなりません。自分が嫌なことを一手に担って支えてるのだというアピールをどんどんしてみると、そういう先輩達にかわいがってもらえるものです。

④何も考えずにひたすらやりぬく

マラソンと同じ感覚です。登山と同じ感覚です。つまりゴールを決めておくということです。その仕事が好きとか嫌いとかに意識をとられるのではなく、ここまではやりきろうという意思をもつことです。

そのゴールの先にあるものはこの時点でもわかりません。やりきった後でもわからないかもしれません。確かなことは「やりきった」という事実です。

誰もがやれないことをやるということとは異なるようですが、少し試練をつけたすと意義が生まれます。例えばコンビニの店員として働いているとするならば、どの職員よりも感じよくお客に接すること。

2つレジがあるうちに自分の方にだけ長蛇の列ができて、あいているほうへ誘導しようものならば並んでも貴方に対応してもらいたいという店員になるとかです。

しかもそれを3年間だけ続けて店員職をおしまいにするという目標です。陳列のエキスパートになるということでも良いでしょう。

他のコンビニに類を見ないほどの品数を有し、全ての商品がきっちり表が向かれていて非の付け所が無い。さらには陳列をより栄えさせるような演出のため、掃除も徹底、駐車場やトイレも衛生的で虫一匹も入る隙間の無い店作り。

あなたがやっていると看板に訴えてもいいほどの出来栄えで仕事をする。これもまた期限付きです。

何が言いたいのかといえば、その道の「エキスパート」類をみない活躍ぶりでゴールまでこなすということです。

仕事に行くのが嫌で転職もできないのであれば、嫌な仕事であることすら考える余裕がないほどやりきるしかないのです。人はかならず、自分の都合をもちだします。

こうだからできない、ああだからやりたくない。誰も同じです。

それを言い続けていたらやりたいものが自然とこちらに流れ着いてくるのかと思うほど口々にやりたくない事象を列挙します。

別の見方をすればストレスのはけ口で、続けていかなければならない事実を愚痴をつかって肯定するやり方なのです。

ですからもしかしたらあなたの「行きたくない」というレベルは“愚痴の延長”かもしれません。それならば、友だちに聞いてもらってその都度解消していくのがベターです。

しかし、明らかに違うというのならば、愚痴をいっても解決できないのならば一気に次元を変えて、そんなレベルの低い解消法から脱却しなければなりません。

その分野において、その仕事場において日本一の従業員になるつもりで目標まで行くべきです。

⑤何の為に仕事をやるのか?の答えを探す

人は生きていく為に仕事はします。仕事なくしてはその対価であるお金が手に入らず、そのお金に応じて生活のレベルや質が変わってきます。

お金なくして生きていけないという事実があります。しかし、誤解されがちなことはお金の為に生きているのではないということです。

仕事に行きたくないとはいっても生きていきたくはないとは考えません、誰も。でもその仕事を通じて生きていくことへの価値を実現させたいという人はたくさんいます。

野球選手や監督がよくいう台詞で貴方にとって野球とは何かといわれれば人生そのものというそうです。野球業界に携わることが何よりも替えがたい自分の生きている証だというのです。

この何の為にという部分が明確でない人はどの職種についても「仕事に行きたくない」という発想が生まれ続けるでしょう。

その仕事を通して○○を実現させるのだという考えを持っているのならば、たとえその仕事が雑務で辛いことであったも通過点に過ぎないと思えるものです。

野球選手もバットばかり振っていたらいつの間にかメジャーリーグにいましたという人は一人もいません。緻密な計画とたゆまない努力です。

しかしここでまた、指摘したいことが出てくると思います。才能がその人にはあるから計画や努力だけじゃ成功しないという点です。

「仕事に行きたくない」と思う人であれば、まずは自分のことを認めてもらいたいし特別な能力はないということでどんどん自分の可能性を下げようとします。

ごくありふれた自分を演出してそこからベストな可能性を見つけてもらいたいということです。まるで自分にあうコンセントを次々に探すかのようなやりかたです。

野球選手に限らず最初は皆合うか合わないかなどわからないではじめています。逆に言えば自分に合うように目の前のコンセントをみつめ、自分自身が変わろうとすることに特化します。

これを親や監督といった先輩達が誘導してくれているだけなのです。

ホームランバッターと呼ばれる人が人類史上見たことのない筋肉を持っているとか、盗塁王と呼ばれる人の目は猛禽類の鷹以上の視力を持っていたなどはありえません。

教えてくれる環境も大事ですが基本的に目の前のものをこなす、それを絶え間なくという点で少しずつ変化しただけだということなのです。

そして何の為にやるのかの結論を出せた時に、行く意味が十分にうまれていかずにはいられなくなるはずです。

まとめ

具体的に何をやればという点においてはもしかしたらこの5つのアドバイスは“精神論”的で的を得ないかもしれません。

しかし、どこからその思いが湧き出したかといえばあなたの「精神」からなのです。

その精神をつかさどる考え方に刺激を与えない限り、場所を変えてみなさいとか、もっと給料のいいところへとか外的なものにばかり目を向けてもしかたのないことでしょう。

物事には根本というものがあり、それが今回の行きたくないという部分であるならば何故なのかを分析すべきなのです。

役立つことを切に願います。

仕事に行きたくない。正直辞めたいとお考えのあなたへ